海の大きさとビルの大きさ


‪人生って不思議。‬
‪生命とは?なんて深く考え始める年頃から、身体が思うように動いてくれるであろう年齢までなんて、あまりにあっという間だ。たったこれだけの時間、此処にいるだけで、数え切れない人や出来事と出会う。それってとっても面白いことじゃん。だから、せっかくだもの。いつだって愉しんでいたい。‬と思う。この頃。

打ち寄せる波とか見てるだけで、言葉になる前にいっぱつでわかっちゃうことがあんなにある。人間が作った、文明社会の中では、ひとつひとつ言葉にしてもしきれず、コンクリートに吸い込まれてしまうような気持ちになる。

波を見てるときは、あぁ、なーんだ、ちっぽけだな。この大きな海を見てると、大自然の流れには、かないっこない。と思う。自分のことだけを重おもしく考えていた事がバカらしくなる。人生って長い地球の歴史の中の本当に一瞬だ。奇跡的に生を受けたのなら、なにか此処にちょっとでもいい事が出来たならいいな、と、自分の小ささに愛おしさすら感じる。抗おうなんていう気持ちは、もはや芽生えない。

でも、例えば都会の街の中、文明社会の中では、自分の小ささに不安になる。延々に完成しない街の片隅、ビルとビルの間の隙間に吸い込まれてしまうんじゃないだろうかと思う。とりあえず身近なところで背比べを始めたりする。

海の大きさと、ビルの大きさは全く違う。人間が作った街というなんだかよくわからないものに押しつぶされそうになるような、暴力的な大きさ。海はそれとは逆で、海こそが生命を作った。母なる存在の海。でももしかしたらそれを、人間は野生の部分でわかっているのかもしれない。とも思う。

どこを向いて歌えばいいのかわからなくなるときがあった。なーんて、ずっとそうかもしれない。ちっぽけな自分を大きくするための歌や、背比べするための歌を聞くことに疲れてしまったこともあった。

でも、そうして、どこを向いていいのかわからなくなって、キョロキョロしていたからなのか、こっちかもよ?という声が聞こえてきたりする。

今すごく心が惹かれるのは、掛け合い歌。広西チュワン自治区ではまだそれを目撃できるらしい。なんか、そういう歌が聴きたいと思った。歌ってみたいとも思った。即興で韻を踏みながら歌うのだけど、それで市場で値切ったり、いろいろするんだとか。と、知り合った現地の知人が教えてくれた。朝から晩まで歌ったりしてるんだそうな。なんか、そんな歌が聴きたいと思ってる。

そして、今夜は、明後日のリハーサルでした。
そこで、またお誘いをいただき、こんどは、小笠原に伝わるパラオやハワイ、そして開拓民の人の音楽が混ざり合った古謡というのがあるらしいのですが、それをもう少し先で、歌うことになりそうです。なんともいいタイミング!興味津々のワクワクな時期に。やってみよー。

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