最近、と言っても3月末以降だろうか。わたしはよく本を読むようになった。
これまでもそこそこ読んできたし、小学生〜中学生くらいの頃は生活環境上そうせざるを得なくて毎日電車で読んでいた。でも今年は家にいる時間が去年と比べて長くなったこともあって、じゃんじゃん読みたい本を買っては読んでいた。積んで置いたままになっていた本も読み進めたりもした。
その中でも、ちょっと、この本について書いておきたい!
と思ったものを、これからはちゃんとブログに書くことにした。じゃないと忘れてしまったり、ただ言葉がすり抜けてしまうかもしれないからね。
それと同時に、このブログよりももっと堅く、考え続けることを放棄しないために始めた、ほぼ読書ブログ(たまにそうじゃない時もある)となっているブログのようなものをnoteで初めてみた。読んだ本について、さらに自分の中で、消化したり、体に染み込ませたり、考えたりしたかったからだ。(これについては次回のブログで紹介します😊。。)
ただちょっと、堅いといえば堅いので、分けることにして、そっちのブログを更新した時は、こちらでリンクを載せるか、もしくはTwitterやフェイスブックで呟くか、という感じにしていく予定。
このハードな時代を、みんなでそれぞれ生き延びるために、諦めずにいろいろトライし続けたいと思っています😁
タイから帰国して真っ先に読んだ本がこの社会学の本だ。
『ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ』響堂雪乃
15歳から始める生き残るための社会学
表紙のアートワークが281_Anti nuke氏の作品になっている。
タイから帰ってくるのも中々大変だったんだけど、帰ってきてからの方が混沌の中にいるような気がしていた。正しく現状を理解するため、色んな人の発言を読んだり聞いたりして、考えてた。
こういう時に常々思うのは、できるだけ触れる情報は多い方がいいということ。そしてたった一つの情報だけを、自分の何となくの確からしさだけを持って信奉するのは危険だということ。
そんな訳で、色々と見ていて、新刊や続編もあったのだけど、1作目から読んだほうがいいのかなと思い、どうしても気になったこの本を買って読んでみた。
281_Anti nuke氏のアートワークが表紙に使われていることも私にとっては決定打だった。というのも、2013年の終わり頃、Our Planet TVという市民メディアでインターンをしていた頃、彼(もしくは彼女)を取材した番組を、当時そこで働いていた方が作っていたからだった。その頃は渋谷の街中に281_Anti nuke氏のステッカーがよく貼られていた。わたしはと言えば、当時真っ只中だった特定秘密保護法について取材したり番組も作ったこともあった。
そんなきっかけもあって手をとったこの本を買って読んで最初の感想はと言うと、「ヤバイ」だった。
本の章を書いてみる。
第一章 「政治がないことを知ろう」
第二章 「地球から国が消える仕組み」
第三章 「新聞テレビは知能を破壊する」
第四章 「学校で人間は機械になる」
第五章 「これからニホンで起きること」
第六章 「なぜ大人は何も考えられないのか」
第七章 「これから君たちが考えなくてはならないこと」
こんなふうに章に分かれて構成されている。
とにかく読みやすくまとめられていて、最初は逆にこの本大丈夫かな?と思ってしまったほどだ。笑 信じたくないこと、受け入れたくない現実が詳かに丁寧に書かれてしまうと、逃げ場がなく、本を閉じることで現実逃避したくなる、というような気分だった。(確か読んだ直後に、FBにこの本なんだか凄くてヤバイ!!的な感じで投稿したと思う。笑)
でも、この世界の、と言うか日本が置かれている状況、私たちが今いったいどんなところにいるのかと言うことが、すっきり見えてくる気もした。
なんとなく、「ヤバイ」と思っていたことに、言葉が与えられて、輪郭がはっきりすることによる若干の安心感もあった。
それからと言うもの、現在はペンネームが秋嶋亮という名前になっているが、作品を買っては読み、買っては読み、している。
この時代や状況をどう乗り切ったらいいのか、なんていう答えが買いてあるわけではない。(もし書いてあったとしたら、それは結構危険な本だ)
確かな答えなどなく、しかも思っているよりハードなビハインドの状況にあるらしい今、さあどうしようか?と、考えるために読む本だ。現実を見定めることが、こんなに絶望的な気持ちにさせられるなんて、という内容もたくさんあったけれど、それが未来の希望につながると信じていたりもする。
わたし自身の日常に照らし合わせるのなら、
日本に帰ってきた3月末以降、ライブらしきライブはしていない。
これって、自分にとってはすごいことで、気付いたら5ヶ月近く経っている。
でも、自分自信に対して驚いたことがあって、それは「なんでもいいからライブしたい!!」という気持ちにならなかったこと。
それよりも、今どんな音を出したらいいのか、どんな音を出したいのか、どんな言葉を歌いたいのか、聞いて欲しいのか、そんなことを考えることが多かった。
それは多分、足を運んでくれる人や、聞いてくれる人や、お店の人がいて初めて自分のライブが成り立っていたからなんだと思う。
だから置かれている状況をできるだけ正しく理解したかったのと、これから先どうやって創造して行こうかと、考えていた。
“新しい日常”という、わたし個人としてはあまり好きではない言葉が使われだした頃から、
元の日常に戻れない、戻らない、戻らせないという流れのようなものを感じるようになり、だとするなら、自分なりのやり方を見つけなきゃな、と漠然と思っていたからだ。
そんなこともあって、毎日、ちょっとずつだったけど、ページをめくる日々を過ごしていた。
自分自身の日常を、
現状に抗うというか、対抗する、というか、未来の希望のために創造する、というか、なんだかふさわしい言葉が出てこないんだけど、そんな気持ちでいる。
それぞれの日常の中で、きっと受け取ってもらえる本だと思う。興味ある人はぜひ読んでみてください。書店でも並んでいます。
これから定期的に本のブログも書いていくと思います。